ニュージーランドで感じ学ぶナラティブセラピーワークショップに参加しました。

ニュージーランドで感じ学ぶナラティブセラピーワークショップ2019に参加しました。
ナラティヴを育んできたニュージランドという社会、マオリの分化、多様なカウンセラーたちとの出会いがこの旅を彩ってくれました。

一人目

初日のレクチャラーは、ワイカト大学のシニアレクチャラー、エルマリー。素敵な女性でした。
Outsider WitnessとRememberingとRe-membering。少々難しかったのですが、自分の背景にあるルーツを大事にする心について考える一日でした。
自分をOutsider Witnessする、他者にOutsider Witnessしてもらう、他者に対してOutsider Witnessする。この繰り返しで、2年間学んでようやく他者に対してできるようになるというものらしいです。
このプロセスは、ファシリテーターの成長プロセスの話に言葉を変えてみることもできるような・・そんなことを思い浮かべています。
きっと一日一日に解はなく、日々の学びで色が重ね塗りされていくのだろうと思うと、多様なセラピストとの出会いこそが、このニュージーランド学びの特権かもしれません。

二人目

二日目のレクチャラーはドナルド。ニュージーランドの高校で30年の勤務経験があり、学校現場で排斥を軽減するためのナラティヴ・アプローチを研究しているカウンセラーです。
明快なオリエンテーションとインタラクティブでグラフィカルな進行、そしてその立ち居振る舞いから、私の眼にはファシリテーターとして見習いたいところが一杯。
初日のエルマリーとセットで咀嚼することで、やっと初めの一歩が見えてきたような気にさせてくれました。
行為行動には必ず肯定的な意図があること。問題と人を切り分けること。問題の外在化に可視化が有効であること。
自分の中の大切なものとこの学びのつながりを再確認しながら、実践的な問いかけとマインドを学びました。
2つの島とボート。フレームに頼ってばかりもよろしくはないですが、これなら練習できそう・・・と思えることは大事です。
Practice,practice,practice・・・

3人目

三日目のレクチャラーは、ジェニー。フーコー(フランスの哲学者)の研究者です。
そもそも人はディスコースで形作られているというところから、がっつりみっちりミシェル・フーコーとナラティブについて学びました。
言葉にしたいことは山ほどあるのですが、簡単に文字化するのがなんとも難しく。ゆっくりゆっくり。そんな簡単に一つの答えを得られるわけがないのだから、と自分に言いきかせています。
3人目のセラピストとの出会いをしっかりとかみしめた令和初日でした。

4人目

四日目のレクチャラーはゲイル。優しく柔らかいトーンで話す姿が印象的です。
今日はナラティヴセラピーの質問法を学びました。
質問の仕方を学ぶというより、自分自身に問いながらnot knowing、reflexive positionという大前提をかみしめる時間でした。
気づきは質問を向ける”視点”。ちょっとずらしてみるだけでオルタナティブへの可能性が広がるということなんですね。

翌日五日目もゲイル。今日は昨日に続いてArt of Questions、外在化の会話でした。
Artで括るのも容易すぎるかもしれないけれど、間違いなくただのテクニックではないもの、ということ。
外在化を語りかける人のその在り方から背景から全てがたぶんその場に影響を及ぼす、ということ。
そんなことをゲイルから学びました。昨日に比べるとちょっと力強いファシリテーションが印象に残っています。
そして、ここから生まれる気づきの言葉をとても大切に扱っている姿は、尊重そのもの。人の芽吹く可能性を信じている姿だと感じました。
ゲイルにはなれないけど自分らしく引き寄せてこれからに生かしたいです。

5人目

それはKouさんです。5日目の午後は、この5日間の学びを語り合う振り返りのワークショップでした。
特筆する「問い」もない。にも関わらず浮き上がってくるみんなの声。こんな自然なファシリテーションが素敵だなぁ、と思いました。
そして、自分の言葉を語りそれぞれの想いを受け取り合うことで、〝私たち”という確固たるコミュニティができていくのを感じました。

このニュージーランドでの体験はこれからの活動の軸になることは間違いないし、この濃縮された学びをこれからの実践の中でどう還元していくのかが私のチャレンジです。
最後の写真は、通訳のゆかりさんとKouさんと。学びに寄り添っていただき、ありがとうございました。